コラム

安藤坂

製造部

萩原印刷本社の目の前には、安藤坂という坂があります。

今回のコラムは、毎日当たり前のように通っている安藤坂にスポットを当て、会社の周辺を紹介したいと思います。

名前の由来は、昔、安藤さんという人が住んでいたのだろうなぁと容易に想像できます。
案の定、紀州藩の安藤飛騨守という方の上屋敷があったことが由来だそうです。
御三家の家老なので、きっと大きなお屋敷が建っていたのでしょう。

会社の近くに「大曲」という名のバス停があるので、昔の人は安藤坂の大きなカーブを「大曲」と呼んで、それがいつしか地名になったのだと勝手に思い込んでいました。
しかし、調べてみると全く違いました。

昭和40年代まで安藤坂には路面電車が通っていたとのこと。
元々江戸時代からあった、傾斜が急だった安藤坂を、路面電車を通すにあたり、緩やかに開削したそうです。
当時の電車は馬力が少なく、大きなカーブを描いてぐるっと廻らないと登ることができなかったので、今の形になったということです。

以前コラムで掲載されてた昭和30年代に会社の前で撮った会長の写真の背景には、路面電車の線路が写っています。

「萩原歳子会長を偲ぶ(1)」から抜粋「萩原歳子会長を偲ぶ(1)」から抜粋聞くところによると、わが社の社長も、若かりし頃は路面電車に乗って大学へ通っていたそうです。
更に冬には、ソリで安藤坂を下って遊んだというエピソードも伺いました。
急勾配なので、さぞかしスピードが出たことでしょう。

今でも路面電車が残っていたら、サンフランシスコのケーブルカーみたいだったかもしれません。
鉄道好きとしては残念でしかたありません。

ちなみに「大曲」という名は、安藤坂とは全く関係なく、神田川を江戸城外堀に通すために、大きく曲げて流した事から、通称で呼ばれました。
正式な地名にはならずに、今では交差点やバス停にその名が残るだけのようです。

大きなカーブを曲がりきる手前にある路地を右に入ると、牛天神北野神社の入り口にぶつかります。
階段を登って鳥居をくぐると、今まで住宅地を歩いていたのが嘘のようにガラッと雰囲気が変わって、いきなり神社の境内に突入します。
夜になると門に付けられた提灯に明かりが灯って、なかなか趣のある景色になります。

再び安藤坂に戻って登っていくと、萩の舎という、樋口一葉も通った歌塾の跡地があります。
今は昔の面影はなく、案内板があるだけですが、ここで住み込みで働きながら、学んでいたそうです。

更に登って、春日通りを過ぎると伝通院が現れます。
徳川将軍家の菩提寺だそうです。
T字で坂がここで途切れているので、安藤坂は伝通院に向かうための道だったのかもしれません。

伝通院伝通院この近辺には、永井荷風の生誕の地だったり、石川啄木や徳川慶喜の終焉の地だったり、幸田露伴の邸宅跡だったり、少し足を延ばせば色々あります。
どれも今は記念碑や案内板だけなのですが、町おこしをしたい地方だったらこれでもかと押してくるところを登場人物が多すぎてさらっと流すところが、流石は江戸、という感じがします。

会社の徒歩10分圏内の散策でしたが、調べてみると、色々な発見がありました。

みなさんもいつもの道を違う視点で探索してみてはいかがでしょうか。

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