コラム

浴衣は夏の風物詩?

総務部

8月も中旬に入りました。
蝉がシャンシャン鳴いて、うだる様な日々が続いて、素麵やスイカを食べるはずなのですが、今年は8月に入ってから雨ばかり。湿度も高く、太陽はちっとも顔を出さず、本当に夏なのか、と疑ってしまうような日々が続いています。
そんな中でも、日本の各地では花火大会が開催されています。先日、江戸川の花火大会に行きましたが、やはりものすごく混み合っていました。中には外国の方も多く、浴衣姿の方も結構見かけました。花火大会は暑くて汗だくになって、慣れない草履で駅までひたすら歩くことがわかっているのに、やはり浴衣で行きたいものです。
当たり前のような光景に思いましたが、なぜ夏は浴衣で花火なのでしょうか。
そのルーツを調べてみました。

浴衣の歴史は、平安時代の「湯帷子(ゆかたびら)」という麻でできた着物で、蒸し風呂の時に身に纏うものでした。安土桃山時代には、風通しがよく、汗もよく吸うという特性を活かして、今でいうバスローブのような役割をしていたのです。

江戸時代になって、風呂屋の普及や歌舞伎役者が楽屋着の柄を真似た浴衣を着ることが流行したことで庶民にも広がっていったのです。湯上り着からちょっとした外出着に変化し、盆踊りや花見へお揃いの浴衣で出かけることが流行したそうです。

明治時代には、それまで本藍の手染めにかわって、「注染」という従来よりも簡単な染色法が考案されたことで浴衣の大量生産が可能となり、庶民の夏着として定着していきました。
それまでの浴衣は白地か藍染めが基本でした。白地は風通しが良い昼に藍染めは虫除け効果のあるため夜に着用されていたようです。

江戸時代後期から明治時代に浴衣は一番着られていたようですが、第二次世界大戦が終わり、産業の発展に伴い、和装から洋装に変わったことで浴衣は衰退することになったのです。
1970年以降にTVやマスコミが花火大会などで浴衣姿の人々を取り上げるようになり、夏=浴衣のイメージが作られ、今のような夏の風物詩となったのです。

高いイメージのあった浴衣ですが、最近ではファストファッションのブランドやネット通販でのセットものなど、とても買いやすくなった気がします。着付けもYouTubeなどの動画サイトを見て、着せ合うようです。
離れた日本の文化ですが、現代風に取り入れて、いつまでも長く残ることを願います。

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