コラム

「明治という国家」について

代表取締役 萩原 誠

 最近、明治という国家について興味があり、様々な本を読んでいます。明治の人々の気概と高い理想と行動力にとても感銘を受け、強く惹かれました。明治時代では司馬遼太郎の作品が史実を基にとても良く描かれています。
 幕末に、薩摩・長州藩を中心に戊辰戦争による旧幕府勢力の排除を経て明治政府が誕生します。この明治維新において、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允は特に枢要な「維新の三傑」と呼ばれています。司馬さんによると、勝海舟と徳川慶喜も高く評価しています。「海舟は偉大です。江戸末期に『日本国』という、たれも持ったことのない国家の概念を持っただけでも勝は奇跡的な存在でした。しかも明治維新の最初の段階において幕府代表として、江戸開城では一発の銃声もとどろかせることなく、座を譲ってしまった人です。こんなあざやかな政治的芸当をやってのけた人物が、日本史上いたでしょうか」と書いています。最後の将軍である徳川慶喜は主戦論をとらず、恭順つまり一切手向かわないという方針を取り、すべてを勝に任せて水戸へ去ってしまいます。こうして時代は大きく動きます。
 維新後明治政府は新しい国家作りを目指します。農業以外何の産業もない、資源もない小さなアジアの貧国が、世界の欧米の列強に負けないよう新しい国を創り始めます。その原動力はこのままでは列強の植民地にされてしまうという恐怖心からでした。
 1871年(明治4年)に明治政府は明治維新最大の改革と言われる廃藩置県を敢行します。廃藩置県が行われた一番の目的は、欧米の列強国に追いつく強い日本にするために、江戸時代までの封建制度による地方分権体制を解体し、天皇・明治政府を中心とした「中央集権国家」にすることでした。廃藩置県が行なわれる前まで、各藩の財政は悪化の一途を辿っており、それを一挙に解消する狙いもありました。
 しかしそれは明治維新であれだけ功績のあった薩長の士族も含めて、日本中の全ての士族を失職させてしまいます。各旧藩では不満や恨みもくすぶり、何度か小さな反乱はあったものの、多くは明治政府の方針に従います。日本が欧米列強に飲み込まれてしまっては元も子もないという愛国の精神が日本全国に広がっていたのだと思います。
 明治維新を成功させた当時の太政官たちには新しい国家の青写真がありませんでした。廃藩置県が終わった明治4年11月12日から明治6年9月13日まで、岩倉具視を団長(全権大使)とする50人ほどの革命政権の権官が大挙欧米見学に発ちます。大久保利通や木戸孝允、伊藤博文などもメンバーに入っていました。世界史のどこに新国家ができてすぐに革命の英雄豪傑たちが世界中を見て回ってどのように国をつくるべきか、うろついて回った国があるでしょうか? 「国家見学」というべきものでした。
 彼らは、各国の長所を見極め日本に導入しようと考えました。例えば軍隊は当初フランス方式を目指しましたが、その後プロシア(現ドイツ)にフランスが戦争で負けるとドイツの方式に改めます。医学は当初オランダ医学を導入していましたが、その後先進的なドイツ医学を目指します。警察は当時世界的に成功していたフランス方式を採用します。また造船技術は、当時最も強かったイギリス海軍を目指して、イギリス方式を導入します。憲法はドイツを参考にするなど、世界の良いとこ取りを積み重ねて日本は成長して行きます。
 時代を牽引した西郷隆盛や大久保利通も、明治10年には西南戦争で敗れて西郷隆盛は自害し、明治11年には大久保利通も不平士族により暗殺され亡くなります。その後を伊藤博文や山縣有朋らが引き継いで行きます。
 その後大日本帝国憲法(俗称明治憲法)が1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行されます。また同じ年に帝国議会(現国会)も開催されます。
 1904年(明治37年)2月に日露戦争が始まります。日本はロシア帝国の南下政策による侵略を防ぎ、朝鮮半島を守ることで、日本の安全保障を堅持することを目指します。ロシアの対外政策に不満を持っていた英国と日英同盟を結べたことも大きく勝利に貢献しました。
 当時の日本はまだ貧乏で戦費も中々賄えません。日本銀行副総裁高橋是清は日本の勝算を低く見積もる当時の国際世論の下で外貨調達に非常に苦心しました。当時の外務大臣の小村寿太郎は、日本の勝利のために外交を活発にして世界での日本の評価を高めます。
 軍事力の強大なロシアと違って、日本は1セットの艦隊しか所有していませんでした。そのためロシアの全ての艦艇を海に沈めて制海権を守るという途方もない戦略が必要とされました。
 しかし東郷平八郎率いる日本艦隊は、日本海海戦においてバルチック艦隊のほとんどの艦艇を海に沈め、壊滅的な打撃を与えることに成功します。戦略担当は「坂の上の雲」の主人公の秋山真之です。ロシア側史料によると、海戦のロシア側死亡者4866名、負傷者799名に比して捕虜約6140名でした。これに対して日本の連合艦隊は喪失艦がわずかに水雷艇3隻という、近代海戦史上においても例のない一方的な圧勝に終わりました。この海戦の結果、日本側の制海権が確定し、頼みの綱のバルチック艦隊を完膚なきまで叩きのめされ追い込まれたロシア側も和平に向けて動き出したのです。
 このコラムではとても書き切れませんが、多くの明治の人々がそれぞれの立場で日本という新しい国家を作るため粉骨砕身されました。現在のウクライナ戦争を目の当たりにして、祖国を守るということがいかに大変か、一端を知ることができました。その後日本は太平洋戦争に突入して、悲惨な敗戦を経験します。そこには西郷隆盛や大久保利通のような私心のない優れた指導者が不在でした。私たちは明治時代の人々のDNAと意思を引き継いで生まれて来ました。明治の人々のように、どんな困難にも負けない強い意志を持って日々の仕事や生活に取り組んで行きたいものです。

 司馬遼太郎の作品には長編が多いですが、秋の夜長の読書には相応しい作品が多くあります。ぜひチャレンジしてみませんか? 以下の書籍がお薦めです。

(全10巻)
(全8巻)
(上下巻)
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