コラム

シモーヌ・ヴェイユの本が、人と会えない時間を埋めてくれた話

クロスメディア部

コロナ禍によって外出が自粛されるようになり、本の販売件数が増えた2020年(その多くは『鬼滅の刃』が貢献していますが)。春秋社様よりシモーヌ・ヴェーユが3冊復刊されました。
『重力と恩寵』
『根をもつこと』
『神を待ちのぞむ』
それぞれ新訳が河出書房新社や岩波書店、勁草書房から出版され、文庫化もされています。
※オンライン書店などで検索する場合、「ヴェーユ」と「ヴェイユ」の2通りで検索結果が変わるようです。

個人的にそれぞれ分からないながらも読み所有しているので、復刊を機に新旧訳の一部を比較しながら読んでみました。
特に『重力と恩寵』はアフォリズムの形式をとっていることもあり、一文一文が短く、最初に手に取るには最適かと思います。
実際に比較してみると、ほぼ同じ文章の場合もあれば、翻訳によってかなり意味が変わっている場合もありました。
しかし、それは誤訳を探すということではなく、一つの文章を異なった解釈にとることができ、それによって考えが深まるように思います。
といっても、休みの日は一歩も家から出たくない自分にとって、彼女の思想を1割も理解できたとは思えません。読めば読むほど難しい。

シモーヌ・ヴェイユは、1900年代フランスに生まれ、教師の資格をとるものの、その地位を捨てて貧しい労働者と同じ境遇で働くことにしました。
やがてナチスドイツによるユダヤ人迫害の影響を受けて、亡命。レジスタンスとして抵抗しようとしていた矢先、無理がたたって若くして亡くなります。
生前ヴェイユの面倒を見た牧師によると、家を無料で貸すというのに、いきなり神についての論議をふっかけてきたそうです。
そんな人に家を貸したりしたくないですね。
しかし、彼女は喧嘩をしたいわけではなく、神について、哲学について一切の妥協なく他人と語り合いたかったのだと思います。

私が特に気になるのは、中流以上の家庭に生まれて教師という役職を捨ててまで、貧民の地位に身を落としたことです。
そこまでしなければ、貧しい人たちの気持ちを本当に理解することはできなかったと彼女は信じていました。
『重力と恩寵』には、「執着から離れるために、不幸であるだけでは足りず、慰めのない不幸でなくてはならない」という文章があります。
寒い冬に羽毛布団にくるまって暖かい寝床から1mmも動きたくない私には、全く理解できない、実行できない考え方です。

進んで苦難の道を選び、若くして亡くなることも厭わなかった彼女が、いったい何を考えていたのか。
煩悩の滅却・執着から解き放たれること、これらは仏教にも通じるところがあります。
死と隣り合わせのような修行を経て得られる、その先の恩寵とは何か。
寒い日の熱燗が大好きな私には決してたどり着けない境地ですが、彼女の本を通して、人と会わない時間くらい彼女の苦しみに比べたら何事でもない、と少しだけ思えるようになりました。

重力と恩寵
https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393325544.html
根をもつこと
https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393325520.html
神を待ちのぞむ
https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393325537.html

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