コラム

萩原歳子会長を偲ぶ(2)

総務部

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 ご存知の方も多いと思いますが、会長は気配りに長けた人でした。周りの様子をよく見ており、誰かが困っていれば、すぐに手を差しのべていました。
 若い頃からそんな気質でしたから、舅の芳男にもかわいがられたようです。会長は記憶力がよく、電話番号を覚えることが得意で、舅に聞かれると即座に答えて喜ばれていた話をしてくれました。私が入社した当時も電話帳を調べようとしていると、すぐに番号を教えてくれたことを思い出します。語呂合わせで覚えていたようです。
夫婦夫婦みずいらず 人とのお付き合いも大切にしていました。お客様はもとより、従業員、関連会社の方々、銀行関連、またデリバリーで会社に来てくれる人にも声を掛けて楽しそうに話していました。銀行の担当者が疲れている様子であれば、少し休んでいきなさい、と声を掛けたり、悩み事の相談話もよく聞いていました。特に地方から赴任されている方は、会長のことを「東京の母」と言って慕ってくださいました。
 ひとつ印象に残っている出来事があります。本社はマンションの1~4階までを使用しています。マンションですから部屋ごとに郵便受けがあります。会社あての郵便物は1つ使えば十分です。ある時、郵便受けにチラシ類がたまってしまうので、会長に「1つを残して、あとはテープを貼りましょう」と提案しました。(いいアイディアだと思ったのです)そうしましたら、「入れる人が困るから・・・」と言われました。入れる人って?ポスティングをする人のこと?と驚きました。「困る」とは「チラシがはけず、また違う建物に行かなければならない」「テープを貼ったら、ポスティングの仕事がなくなって困る」ということだったのです。会ったこともない人のことです。
 当時私は30代半ばだったと思いますが、私は「自分が大変!」なことで頭が一杯ですから、すぐには理解できませんでした。落ち着いて考えてみたら、なんだか胸が一杯になりました。「ああ、会長はこうやって人のことを思って生きてきたんだ・・・」と。「利他の心」という言葉はそれから10年くらい経って知りました。
 今でもこれを踏襲して、すべての郵便受けの開け閉めしております。(うるさいのがたまにきずですが)
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